【読書感想文】賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』

 

 

 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)は、右派論壇が日本人の戦後の歴史観を「自虐史観」や「GHQによる洗脳」と批判する際に持ち出すものとしてよく目にする。最近では都市伝説系YouTuberの動画でも、「WGIP」がカジュアルな仕方で取り上げられているのを目にしてわりと浸透してるなとショックだった*1。私自身は右派論壇が想定する「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」による洗脳には懐疑的だったが、そもそもそれがどのようなものなのかを知らなかった。そこで賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』を読んでみた。

 非専門家としての本書への雑駁な感想を言うならば、情報量が多く、また初めて知ることもたくさんあり面白い。そして膨大な一次資料から、当時の占領軍や日本政府の思惑などを読みとって再構成する作業は大変な苦労があったと推察でき、すごいの一言。ただ、占領期に関する専門書に触れるのは初めてということもあって、ところどころ一読では追いきれないところもあった。著者は本書出版後に、光文社新書で『GHQは日本人の戦争観を変えたか:「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』という新書を書いている。こちらは未読なのでわからないが、もしかするとこちらは本書を内容的に圧縮したもので、より読みやすいのだろうか。

 

「ウォー・ギルト・プログラム」とは

 まず「ウォー・ギルト・プログラム」*2とは、GHQ民間情報教育局(Civil Information and Education Section: CIE)が行った、「メディアを利用した情報教育政策の一つ」(2)である。CIEによる「ウォー・ギルト・プログラム」の開始理由は、「戦争開始の目的が自衛のためでもアジア解放のためでもなかったこと、日本は「軍事的な完全敗北」をし、敗因は軍将校たちの戦略や統率力が劣っていたことにあること、日本軍は残虐行為を行ったこと、そしてこれは人道的に許されるものではないことを、日本国民に強く理解させる必要がある」(86)ということだとされる。本書の第2章から第6章までのタイトルが大ざっぱにCIEがプログラムのなかで取り組んだもの、または取り組もうとしたものである。それは、日本人に「「軍事的な完全敗北」を認識させる」(第2章)こと、「「残虐行為」を理解させる」(第3章)こと、「「戦争の真実」を提示する」(第4章)こと、「東京裁判を受け入れさせる」(第5章)こと、そしてCIE自身が「原爆投下に向きあう」(第6章)といったことである。こうした取り組みのなかで、新聞の連載記事をつかった「太平洋戦争史」の掲載、ラジオを使った啓蒙活動、日本の新聞各社への報道規制や指導といったことが行われた。

 

本書の特徴

 私は本書以外の「ウォー・ギルト・プログラム」関連の書籍を読んだことがないため、他の著作と比較しての「特徴」ではないが、本書を読んでいて特筆すべきいくつかの点について列挙する。

 

①米国の膨大な一次資料

 第一に、本書の特徴はアメリカ側の膨大な一次資料を扱っていることである。そもそも「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という言葉を用いて、現在にいたる右派論壇に影響を与えた江藤淳自身はただ一つの史料にのみ基づき、その出典も明らかにしていなかった*3。これに対して本書は「ウォー・ギルト・プログラム」に関連する米国の一次資料を大量に用いて、その全容を解明しようとしている。

 

②「ウォー・ギルト・プログラム」の包括的な把握

 第二に、本書の特徴は「ウォー・ギルト・プログラム」の施策を包括的に把握している点である。プログラムのなかで行われた「太平洋戦争史」(新聞連載)、「真相はこうだ」(ラジオ)、「真相はこうだ質問箱」(ラジオ)、「真相箱」(ラジオ)、さらには新聞各社への指導や懇談会など幅広い施策を分析対象にしており、そうすることでプログラムの全容を明らかにしようとしている。

 

③「ウォー・ギルト・プログラム」の区分

 第三に、本書の特徴は「ウォー・ギルト・プログラム」の三つの段階をそれぞれ精査し、さらに第一段階を戦中の対日心理作戦からの延長線上で捉えていることである。

 プログラムは、占領期になっていきなりゼロからスタートしたというよりは、戦中にアメリカが行っていた「対日心理作戦」の延長線上で組まれた。つまり戦中に行われた捕虜への聞き取り調査やビラ宣伝のノウハウや、日本人に対する米国側の倫理的な違和感に起因する「戦争の有罪性」の理解が「ウォー・ギルト・プログラム」にも引き継がれた。「対日心理作戦」は米国がどのように日本人と向きあい理解しようとしたかの過程でもあり、このことを詳しく書いた第1章は面白い。

 占領初期から始まった第一段階では、「国民から軍国主義思想を排除するという長期的な目的だけでなく、「軍事的な完全敗北」を理解させ、占領を軌道に乗せるという短期的な政治目的があった」(88)。「短期的な政治目的」は占領期初期の日本政府と占領軍とのせめぎ合いのなかで出てきた目的である。そのせめぎ合いは「無条件降伏」に関するものである(第2章)。一方で米国は「無条件降伏」ということで「ポツダム宣言の条件以外は認めない完全降伏」を理解するが、他方で日本は「ポツダム宣言に書かれていない事項に関しては、条件闘争が可能」だと理解する(62)。日本政府は「国体護持」のためにも、占領の統治形態を占領軍による直接統治ではなく、日本政府を介した「間接統治」だと楽観的に理解した(63)。こうした日本政府の画策を阻止するためにも、占領軍は日本に「完全な軍事敗北」を知らしめる必要ができた。このあたりの占領軍と日本政府との齟齬についての記述は興味深いものだった。占領軍の肩を持つ気はないけれども、この期に及んで国体護持を目論む日本政府の行動にはかなり当惑しただろうとおもう。

 第二段階は1946年の1月と6月(このあいだは第一段階と並行)を経て始まる(180)。第二段階では、天皇の「人間宣言」や公職追放の影響によって、ある程度軍国主義の名残りがなくなり、そして占領政策も軌道にのったため「宥和路線」へと舵がきられる(第5章)。その結果、「ラジオから共産主義者が姿を消し、〔日本軍による〕さまざまな残虐行為の暴露計画が中止となるなど、国民感情への配慮がなされるようになった」(192)。次第に「プログラム自体が下火になっていった」(209)が、「一九四七年末に行われた東京裁判での東條英機の弁論が、新たな事態を引き起こし」(210)、プログラムの第三段階の必要性が生じた。

 第三段階の必要性が生じたのは、東條が「敗戦の罪を認める一方で、開戦に関しては一貫して自衛戦争であった」と主張し、その「毅然とした態度」に一定の賛辞の声が盛り上がったためである(210-211)。そのため第三段階では「東京裁判判決および横浜裁判判決の理解のサポート」(214)が主な目的とされた(詳しくは209 ff.)。しかし「東條賛美の盛り上がりは一時的にすぎず、東京裁判判決への受け入れにおいて影響を及ぼすものではないとCIEが判断した」ことで、第三段階の提言書でなされた個々の制作はほとんど実行されなかった(215)。

 他方で「原爆投下への国民の態度」(212)も占領軍にとって都合が悪かった。ただしCIEにとって原爆批判への懸念はあったものの、「CIEは原爆投下を正当化するための情報発信に関し積極的とはいえず、どちらかといえば、「寝た子を起こすな」状態であった」(239)とされる。ところでCIEが「ウォー・ギルト・プログラム」で企図したことの一つは、日本国民に「戦争の有罪性」を理解させることだった。この「戦争の有罪性」とは「たとえ敵であろうが、戦争の勝利のためであろうが、非人道的な行為は罪であるということであり、それは国際法に違反するからではなく、人としての道にはずれるから」(247)というものである。そうだとするならば、この「戦争の有罪性」は原爆投下にも当てはまる。したがって、CIEは日本国民に「戦争の有罪性」を理解させるだけではなく、自分たち米国が行った原爆投下の「戦争の有罪性」についても向きあわなければならなかった。このようにCIEは「戦争の有罪性」に関してジレンマを持ちながら、原爆投下へ向き合わざるをえず、その葛藤が第6章で描かれており、とても興味深い。

 

④「戦争の有罪性」

 第四の特徴は、本書が「ウォー・ギルト」を「戦争の有罪性」と訳出し(7)、その具体的な内実を明らかにしようとする点である。著者のまとめによると、そもそも「ウォー・ギルト・プログラム」を問題視した江藤淳が、「プログラムの目的を、日本が引き起こした戦争は侵略戦争であったとの歴史観を提示することにあるとし、「戦争の有罪性」とは「戦争の侵略性」であると示唆した」ことによって、「「戦争の有罪性」を「戦争の侵略性」に置くという枠組みが前提条件」となったとされる(14)。本書は、「戦争の有罪性」という言葉を、「侵略戦争」や「捕虜虐待」「住民虐殺」などの「法的有罪性」だけではなく、「道義的有罪性」も含めて理解する。つまり「捕虜虐待のような法的なだけでなく、自国の兵士に対する非道な扱いのような人道的な見地からの罪も含まれていた」(254)*4。この「人道的な見地」は西欧的倫理観であり、当時の日本国民には欠けているものだった。「敵であれいったん捕虜にした後はそれまでの戦闘をねぎらい正当な扱いをするべきと考える西欧的精神に対し、捕虜になるのは恥ずべきことであり、ましてや平手打ちや殴打は日常生活で通常行われている慣習であるため、容認されるべきと考えていた日本的精神の間には大きな差があった。」(115-116)。そのため「戦争の有罪性」を理解させるというプロジェクトは、たんに大本営報道規制によって日本国民から隠されていた諸々の虐待の真実を提示するだけではなく、「それらの行為がなぜ罪なのか」(81)を理解させることも含まれている。

 

プログラムによって問われなかった国民と天皇の有罪性

 「ウォー・ギルト・プログラム」開始のもとになったCIE設立指令a三項には、「すべての階層の日本人に、敗戦の真実、ウォー・ギルト(War Guilt)[…]を周知させる」(2)とあり、戦犯とされた軍国主義者たちだけでなく、日本国民自身の「ウォー・ギルト」=「戦争の有罪性」を日本国民に周知させる必要が明記されていた。しかし「CIEは、「ウォー・ギルト・プログラム」開始から一貫して、国民を軍国主義者にだまされた存在として位置づけ、「戦争の責任と有罪性」を軍国主義者に負わせてきた」(262)とされる。「戦争の有罪性」は、法的な責任だけでなく、普遍的な人権感覚にもとづく道義的な責任も含むため、捕虜虐待や住民虐殺を行った責任者としての上官だけでなく、それらを実際に実行した「兵士一人ひとり」、ひいてはそうした行為を許す「日本という社会」にまで当てはまるはずの概念である(265)。しかしCIEは、一つに「占領を円滑に遂行する」ために「国民の反感」を買わないようにするという理由と、いま一つに国民の有罪性と責任が天皇の有罪性と責任への議論に波及しないようにするという理由によって、「国民の有罪性」および「国民の責任」を実際に問うことはしなかったとされる(264)。

 占領当初、CIEは日本政府が「民主化のペースを落とし、天皇論議をさせないように企てている」(121)と分析。そこでCIEは「言論の自由」を促進するために、政治犯として捕まっていた共産主義者たちをラジオに出す(121 ff.)。そのなかで「天皇論議」もなされた(125 ff.)。しかし年が明けて1946年1月から共産主義者の出演は下火になっていく(181 ff.)。そもそも占領軍にとって「天皇を利用して占領政策を推し進めることは、かなり早い段階での既定路線」(264)だった。そしてラジオで盛り上がった天皇論議も「象徴天皇制」(127)を受け入れる際の下地を作っただけで、天皇の有罪性と責任や天皇制の廃止といった議論にはつながらなかった。

 「国民の有罪性」が問われず、国民自身が「戦争の有罪性」を認識できなかった結果として、「一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効後、日本各地で戦犯救済のための署名活動がさかんになった」ことが指摘される(266)。著者が指摘するように、「もし本当に残虐行為に対する有罪性が理解できていたとしたら、はたしてこれほど大規模な運動が繰り広げられたであろうか。つまり、この運動の盛り上がりは、「ウォー・ギルト・プログラム」による「戦争の有罪性」が、国民に理解されず浸透しなかったことを意味している」(266)。著者自身は指摘していないが、戦犯を「英霊」としてあがめたり、「日本人に対する罪」の被害者である特攻隊の人々などの被害者性を無視してただ「英霊」として見なすといった見方は、まさに「戦争の有罪性」が理解されていない証左のようにおもわれる。

 

読んだあとにいわゆる「WGIP」について思ったこと

 本書を読んで、あらためていわゆる「WGIP」について思ったのは、右派論壇が言うような「洗脳」や「自虐史観」の押し付けといった単純な物語は「ウォー・ギルト・プログラム」にはないということである*5。著者が言うように、「最も盛んに情報発信が行われた東京裁判開始までの前半部〔第一段階〕が、「ウォー・ギルト・プログラム」のハイライトであった」(254)。第二段階(1946年上半期から)ではすでに、日本の国民感情を考慮した「宥和路線」がとられていたし、東京裁判・横浜裁判の理解を促進するために企図された第三段階もそのほとんどが実行されずに終わった。もしかすると、CIEとしてはもっと日本人に西洋的な価値観や倫理観を植え付け(そう言いたければ「洗脳」し)たかったのかもしれないが、日本人は手ごわかったようだ。もちろんまったく影響はなかったとは言えず、「太平洋戦争史」や「真相はこうだ」、「真相はこうだ質問箱」そして「真相箱」といったものは、戦中には知りえなかった「真実」(ただし米国側の色もついた「真実」)を日本人に知らしめるという効果はあったのだろう(267 f.)。

 また、CIEが「国民の有罪性」や「天皇の有罪性」についてそれほど切り込まなかったことは戦後の日本の歴史にさまざまな課題を残す結果となったようにおもわれる。

 

参考文献

賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』、法政大学出版局、2018年。

*1:コヤッキースタジオ(2022年7月12日の視聴時点での登録者数約69万人、当該動画の再生回数は約28万8千回。):

学校は洗脳教育のための場所だった。体育座りが使われ続ける理由がヤバい【 都市伝説 洗脳 アメリカ GHQ 】 - YouTube

→ただし動画制作者自身に右派論壇のような何らかの明確な政治思想があるとはおもえない。単純に「陰謀論」のネタの一つとして紹介しているのだろう。

*2:本書ではいわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は「ウォー・ギルト・プログラム」という名称で呼ばれる。その理由と、「ウォー・ギルト」という言葉の訳し方については6頁以降を参照。

*3:江藤が依拠したとおもわれる史料を著者が見つけたときのことについては「あとがき」(274)に言及がある。

*4:自国の兵士に対する非道な扱いは「日本人に対する罪」(42)であり、これも「戦争の有罪性」に含まれる。捕虜にせよ自国民にせよ、命を大事にしない日本人は「西欧的価値観・倫理観をもってしては理解できないもの」(42)だった。日本人との倫理観の違いについて、米国は「対日心理作戦」において戦中から分析しており、そこで培った日本人観が占領時のプログラムにおける「戦争の有罪性」概念にも引き継がれていると著者は理解する(例えば108)。そのため著者は「対日心理作戦」と「プログラム」との連続性を強調する。

*5:「ウォー・ギルト・プログラム」を「侵略戦争観を国民に提示し理解させ、その意味において東京裁判と一体化したもの」とする見方(おそらく右派論壇で共有される見方)と、本書との違いについては、終章に三点明確に述べられている(254 ff.)