"I'm TS mother fuckin' A." :『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール監督、2017年)

1. はじめに

 昨日から『NOPE』の公開が始まった。とても楽しみだけれど、観る前にこれまでのジョーダン・ピール監督作品を見返すことにした。

 『ゲット・アウト』は2017年に公開された「ホラー」映画。おおざっぱに言ってしまえば、白人女性(ローズ)を恋人に持つ黒人男性(クリス)がその恋人の実家に行き、何らかの恐ろしい目にあうという作品。映画館で観た当時は、序盤からの不気味で不穏な空気と、謎が解けたときの衝撃、そこからラストにいたるまでのハラハラに釘付けだった。

 

 

以下、ネタバレあり。

2. 「沈んだ地」のメタファー

 本作品は、よく言われているように本作品は、よく見られる単純な人種差別を描いてはいない*1。ローズとその家族やそのお仲間の白人たちは皆(ローズの弟はどこか攻撃的だが)、一見するといわゆる「リベラル」。大統領選ではオバマを支持しており、クリスにもフレンドリー。しかし観客は、どこか居心地の悪さをクリスとともに共有する。というのは彼らは、黒人に対してフレンドリーだが、その際彼らが褒めるのは、「黒人」とくくられる人々に表象される身体能力やクールさだからである。ネガティブなまなざしを向けるか、ポジティブなまなざしを向けるかの違いはあれど、個人を様々な面を持つその個人としてではなく、いわゆる「人種」とその「人種」に付与される何らかの表象をとおして見るという点では、彼らは「レイシスト」とほとんどかわりがない。

 私も、例えば自分のことをよく知らないし知らせてもいない相手から、「真面目で良い人だ」とポジティブな評価をされるととても居心地が悪く感じる(もちろん『ゲット・アウト』で描かれる問題はこんなことよりももっと構造的な差別がかかわる深刻な問題)。そのようなポジティブな評価は、私をそのような「真面目で良い人」として振る舞うように強制する呪詛のようにも聞こえる。

 ところで『ゲット・アウト』における重要なアイディアは、白人が、ある外科的な手術を通して、意識を黒人の身体に移して、その黒人を乗っ取るというものだ。乗っ取られた側は、意識を完全に失うわけではなく、「沈んだ地」と呼ばれる深層意識に取り残されてしまう。そこでは意識は保たれたままで、別の意識に乗っ取られた自分の身体をテレビの画面から見るかのように見るという地獄だ。これはとても突拍子もないアイディアで、それだけを聞くとツッコミを入れたくなってしまう。しかしあるメタファーのようにもおもえる。私たちは他人から期待される役割を自分の身体で演じながら、それをメタ的に見るということはないだろうか。私は当事者ではないから実際には分からないのだけれども、例えば黒人は「黒人」として期待された身体を、あるいは女性は「女性」として期待された身体を演じ、その自分をメタ的に見ながら自分の意図とは別の何かに動かされている感覚を持ったりすることはないのだろうか。そのとき人は、自分以外の「意識」に身体を支配されて、「沈んだ地」にいる感覚を持つのではないだろうか。

 

3. 一般的なホラー映画のラストに対する批判的なラスト

 前々からホラー映画を見ておもうことがあった。ホラー映画でよく見るのは、世間から切り離された土地や状況下で、主役(たち)が自分(たち)の力で危機的状況を切り抜けて、最終的に警察が現われ保護されて一件落着というもの。主役も観客も警察の姿を見て安堵する。しかしこれを見ていつも、警察はそこまで信頼にたる存在なのだろうか、とおもってしまう。もちろん多くの警察官は市民を守るために行動しているのだろうけれども、警察権力は必ずしも市民にとって安心できる存在ではない。ホラー映画のよくあるラストは、警察権力の「恐ろしさ」を隠蔽しているように見える。

 しかし『ゲット・アウト』は違う。『ゲット・アウト』では序盤に、ローズが運転する自動車が鹿をひいてしまった際に、クリスが警察を呼んで白人警察官がやってくるシーンがある。しかしただ助手席にいただけのクリスは、その警察官から身分証を提示するように要求される。ここで警察官と黒人とのあいだの緊張関係が描かれる。実際、アメリカの社会問題として、警察官が黒人たちを不当に扱い、最悪の場合死にいたるということもある。『ゲット・アウト』は多くのホラー映画と同様に、危機的状況から脱出したクリスの前に最終的にパトカーが止まる。しかしそのパトカーはクリスと観客に安堵をもたらすものではなく、不安をかきたてる。せっかく危機的状況から脱したにもかかわらず、次は警察権力によってクリスが不当に逮捕されるのではないか、そうしたことを予期させる。

 しかしそこに現われるのは序盤で現われたような白人警察官ではなく、クリスの親友ロッド!ロッドはクリスの状況を案じて警察署にもかけこむが相手にされずに結局自ら助けにきたのだ。ロッドは警察官ではなくTSA(アメリカ合衆国運輸保安庁)の職員だから、パトカー的な警備用車両に乗れるのかどうかは知らないけれども、すごく頼りがいのある友人だ。ロッドはクリスにこう言う、”I'm TS mother fuckin' A!”。これからのホラー映画のラストはpoliceではなくTSAで決まりだ。

*1:例えばこちらの記事を参照。